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北京オリンピックでも、やはりというか、心配していた『柔道』の日本陣の金メダル候補の初戦敗退の報が届く。
------------------------------------------------------------------- 『柔道』は、明治15年に嘉納治五郎が講道館において創始した武道なのだが、それまでは武士の武術から発展した柔術が沢山あった。それを整理体系化して誕生した。 「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ」をモットーとする。 もともとは勝利至上主義ではなく精神鍛錬をも目指した言葉だ。前の部分だけがピックアップされ、小さい体で大きな体を投げ飛ばすイメージだけが先行しているのだけど。 それでも、潔さを信条とする日本人としては、切れ味良い1本技が重視されて来た。 これが、東京オリンピックで正式種目として採用されてから、世界の『JUDO』となり、まったく違った競技となっていくのだが、本家本元である日本の『柔道』は、これまでの信念に固執し取り残されていく。 オリンピックの『JUDO』は、「ジャケット・レスリング」と呼ばれ、レスリングや、いろんな国の民族格闘技が加味されタックルやそり投げなど柔道着を持たなくても簡単に一本が取れる。オリンピックで金を取るためには意識改革が必要。カラー柔道着が採用された時点から『柔道』は『JUDO』になっているのだ。 「あれは柔道じゃない!」などと、いつまでも愚痴っていてもしょうがない。ルールは常に変化するのだ。それに対応できずにいるコーチ陣や日本柔道連盟が諸悪の根源だろう。 すでにフランスの『JUDO』人口は日本の3倍の60万人、ドイツでも35万人だ。いろんな国の、いろんな民族格闘技にあわせての国際ルールは当然必要だろうし、意識の改革も当然なのだが、『柔道』の幻影から脱却できてない。「柔道」発祥の国としてのプライドがそうさせているのだろうが・・。
by Hidari_neji
| 2008-08-14 15:16
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